
【リーダーシップ開発の新常識:第5回】フォロワーがリーダーシップに与える影響
「リーダー不足」にお悩みの経営者・人事の皆様にお届けする、全7回連載コラムの第5弾です。
今回も、神戸大学大学院教授で経営組織論、組織行動論、経営管理論を専門とする鈴木竜太氏が、前回ご紹介したリーダーシップの定義や構造を踏まえ、リーダーシップ論の歴史と広がりを解説します。
なお、本記事は書籍『リーダーシップの科学』(ダイヤモンド社)をもとに一部抜粋・編集して執筆していきます。
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フォロワーシップとは
リーダーシップはフォロワーの心の中に存在する
一般的に、リーダーシップとは優れた才能や権限を持つ一部の人間だけが身につけており、その人物から周囲の人々へと一方的に発揮されるものだと考えられがちである。しかし、リーダーシップの所在を深く探求していくと、それは必ずしもリーダーの側だけに存在するわけではないという事実に突き当たる。リーダーシップはリーダーが一人で完結できるものではなく、フォロワーという存在があって初めて成立するからである。
いかに役職として公式なリーダーに任命され、教科書通りの優れた振る舞いを実践したとしても、周囲の人間がその人物をリーダーとして認めず、その言葉に従おうとしなければ、リーダーシップは全く機能しない。リーダーシップとは、他者を牽引する行為そのものというよりは、フォロワー側が「この人の働きかけを受け入れよう」「この人にリーダーとしての役割を期待しよう」と認知し、受容するプロセスを通じて初めて社会的な実体を持つ現象なのである。つまり、リーダーシップの成否を握っているのは、実はリーダー本人ではなく、それを受け止めるフォロワーの側にあると考えることができる。この視点の転換は、リーダーという公式の役割を与えられただけで人々が自動的についてくるわけではないという、組織運営のシビアな現実を突きつけている。
アイデンティティの相互付与によるリーダーの誕生
フォロワーがリーダーシップの成立を決定づけるのであれば、リーダーは初めからリーダーとして存在しているわけではないことになる。フラットな関係性の集団においては、メンバー間の相互作用を通じて、徐々に「誰がリーダーになるのか」が決定されていく。例えば、大学のゼミナールにおけるグループ課題などで、最初は誰も役割を持っていなくとも、ある学生が「まずはこうやって進めよう」と提案し、他の学生がそれに賛同して各自の作業に取り掛かり始めた瞬間、そこにリーダーとフォロワーという関係性が生まれる。
このプロセスにおいて重要なのは、アイデンティティの相互付与である。自らがリーダーのように振る舞うことは、相手に対して「フォロワーとしてのアイデンティティ」を要求することに他ならない。そして、相手がその提案に同意し、フォロワーとして振る舞い始めた時、彼らは提案者に対して「リーダーとしてのアイデンティティ」を付与しているのである。起業家でありミュージシャンでもあるデレク・シヴァースが、広場で一人奇妙な踊りをしている男の動画を例に「一人の風変わりな男をリーダーに変えたのは、最初のフォロワーである」と語ったように、フォロワーが支持し、追随行動をとることによってのみ、単なる変わり者は集団を動かすリーダーへと昇華される。優れたフォロワーの存在こそが、新たなフォロワーを次々と巻き込み、強固なリーダーシップを発揮できるリーダーをつくるのである。
フォロワーシップの多様な視点とシェアド・リーダーシップ
リーダーシップ論の進化に伴い、フォロワーに焦点を当てた「フォロワーシップ」という概念が注目されるようになった。リーダーシップ研究によってフォロワーの捉え方は多様であるが、大きく5つに分類できる。第1はフォロワーを受動的な影響の受け手や状況の一つとみなす従来のリーダー中心的な見方であり、第2はリーダーとフォロワーの双方向の関係性が成果を生むとする見方である。
そして近年特に注目されているのが、第3の「役割ベースのフォロワーシップ」と第4の「構築主義的なフォロワーシップ」、さらに第5の「フォロワーがリーダーシップを構成する」という見方である。役割ベースの考え方では、公式的にはフォロワーの立場にある人間が、リーダーに対して自発的に提言提案したり行動を促したりすることで、逆にリーダーを動かし成果を導く状況を想定する。一方、構築主義的なアプローチでは、固定的な役割に縛られず、人々の相互作用の中でリーダーとフォロワーの立場が絶えず入れ替わる状態をよしとする。
この構築主義的な考え方を具現化したものが「シェアド・リーダーシップ」である。これは、特定の誰かが常に先頭に立つのではなく、状況や専門性に応じてチーム内のメンバーが流動的かつ創発的にリーダーシップを発揮し、他のメンバーはその瞬間においてフォロワーシップに徹するという、柔軟な権限の共有状態を指す。サッカー日本代表に初めて選出された当時最年少の中田英寿が、年上のベテラン選手たちに対して臆することなく指示を出してチームを動かしたエピソードは、まさにこのシェアド・リーダーシップの典型例であると言える。目標の共有や相互の信頼に支えられたシェアド・リーダーシップは、現代の複雑なビジネス環境下において、チームの創造性やイノベーションを大いに促進することが明らかになっている。
フォロワーの影響力
私たちが捉われる「リーダーシップの幻想」
私たちには、組織や社会で発生する出来事の原因を、特定のリーダーの存在に過剰に帰属させてしまう心理的なバイアスがある。業績が劇的に向上すれば「素晴らしいトップの手腕だ」と熱狂し、逆に業績が低迷すれば「リーダーの能力不足だ」と責任を追及する。こうした現象はスポーツの監督交代や政治のリーダー選びでも頻繁に見られるが、学術的な研究においては、これを「リーダーシップの幻想」と呼んで警鐘を鳴らしている。
ジョセフ・マインドルが実施したメディアの分析や実験は、この幻想の強さを如実に物語っている。彼は10年間にわたるビジネス誌の記事を分析し、企業の業績が絶好調な時期や、逆に経済状況が大きく悪化しているような極端な状況下において、メディアがことさらに「リーダーシップ」を強調した記事を増産する傾向があることを突き止めた。さらには、架空のビジネスシナリオを用いた実験でも、組織の成果が極端に高い、あるいは極端に低い結果になった時ほど、人々は「マネジャーの貢献や影響が大きかった」と判断しやすくなることが証明されている。現実の組織運営においては、競合の動向、経済環境、技術革新、現場の努力など、無数の複雑な要因が絡み合って成果が決まる。それでも人間は、複雑な因果関係を思考の負担なく処理するために、すべての結果を「一人のリーダーの良し悪し」というわかりやすいストーリーに還元してしまう傾向を強く持っているのである。
リーダーの真の影響力を決定づける環境要因
では、リーダーは本当に組織の業績を決定づけるほどの絶対的な影響力を持っているのだろうか。ノーム・ワッサーマンらの研究は、トップリーダー(CEO)が業績に与える実際のインパクトは、その企業が置かれている「環境的な制約」によって劇的に変動することを明らかにしている。具体的には、「機会の希少性(取引の制約度合いなど)」と「資源の利用可能性(余剰資源の有無など)」という二つの軸が、リーダーの影響力を決定づける。
例えば、法規制が厳しく寡占化が進んでいる産業など、企業が自由に動ける選択肢が少ない(機会の希少性が高い)状況では、限られたチャンスをいかに的確に掴み取るかというトップの決断が企業の命運を直撃する。かつてのヤマト運輸が、厳しい規制の中で小口配送という新たな市場を見出し宅急便を立ち上げた事例や、サムスン電子が莫大な余剰資源を旧世代メモリに集中投資して市場を制覇した事例などは、まさにリーダーの鋭い判断が業績に莫大なプラスの影響を与えたケースである。
しかしその逆も然りである。市場が成熟しており誰がやっても同じような結果にしかならない状況(機会の希少性が低い)や、新たな投資を仕掛けるための資金的な余裕が全くない状況(資源の利用可能性が低い)においては、いかに優秀なカリスマリーダーがトップに就いたとしても、打つ手が存在しないため、業績を大きく上向かせることは不可能に近い。このような身動きの取れない環境下にある企業に対して、「リーダーの能力が低いから業績が上がらないのだ」と責任を押し付けるのは極めて酷であり、それこそが「リーダーシップの幻想」の最たるものなのである。
ネットワークの中心性と社会的パワー
フォロワーがリーダーシップに与える影響は、公式な評価や業績の解釈だけにとどまらず、日々のコミュニケーションのネットワークを通じても発揮される。チア・チウらの研究によれば、組織内において誰が真にリーダーとして認知されるかは、フォロワーたちが「誰にアドバイスを求めているか」というポジティブなネットワークの中心性に大きく依存しているという。
公式の役職に関わらず、専門的な知識が豊富で、日常的に多くのフォロワーから仕事の相談を持ちかけられている人物は、ネットワークの中心に位置し、自然と集団から「リーダー」として強く認知されるようになる。逆に、高圧的で横柄な態度をとり、フォロワーから「できれば関わりたくない」と避けられている人物は、ネガティブなネットワークの中心に立つことになり、どれほど高い役職に就いていようともリーダーとしての認知は極めて低くなる。
このメカニズムの背後には、フォロワーが自発的に教えを乞う「専門的パワー」や、人間的な魅力に惹かれて支持する「準拠的パワー」という目に見えない影響力が存在している。つまり、リーダーシップとは役職への任命と同時に突然発生するものではなく、リーダーになる前の日頃の振る舞いや、フォロワーとの間でどのような相互関係を築いてきたかという歴史の蓄積によって決定づけられる。フォロワーが誰を頼り、誰を避けるかという日常的な行動のネットワークこそが、組織内の真のリーダーを選別し、その影響力の大きさを規定しているのである。
フォロワーが求めるリーダーの条件
フォロワーが内包する「暗黙のリーダーシップ」
リーダーシップがフォロワーの認知によって成立するのであれば、フォロワーは一体どのような基準で他者を「リーダー」として認めているのだろうか。実は、私たち一人ひとりの頭の中には「リーダーとはこういう特質を持つべきだ」「こういう振る舞いをする人間がリーダーにふさわしい」という、無意識の理想像やステレオタイプが存在している。これを学術的には「暗黙のリーダーシップ」と呼ぶ。
リン・オファーマンとメリッサ・コーツが20年間のスパンで行った調査によれば、人々がリーダーに求める暗黙の条件は、時代を経てもそれほど大きくは変化していない。現代においても、感受性や熱心さ、知性に加えて、カリスマ性や強さ、さらには押しの強さや威圧的な姿勢さえも、依然としてリーダーらしさを構成する因子として抽出されている。ただし、近年のビジネス環境の変化を反映してか、新たに「創造性」という要素がリーダーシップの条件に加わっていることも確認されている。
この暗黙のリーダーシップの理論が示唆するのは、どれほどリーダー本人が最新のマネジメント手法を学んで実践したとしても、それが目の前のフォロワーの頭の中にある「理想のリーダー像」と合致していなければ、決してリーダーシップとしては受け入れられないという事実である。フォロワーが「リーダーとは父親のように厳しく力強い存在であるべきだ」と信じている組織において、リーダーが「私は皆の良き相談相手になろう」と気さくに振る舞っても、「頼りない」「物足りない」と評価され空回りに終わってしまう。リーダーシップの成否は、リーダーの行動そのものの絶対的な質ではなく、フォロワーの持つ暗黙の基準といかにチューニングを合わせられるかにかかっているのである。
女性リーダーを苦しめるダブルスタンダードと認知バイアス
フォロワーの頭の中にある暗黙のリーダーシップは、時に深刻な認知のバイアスを生み出し、特定の属性を持つ人々の活躍を阻害することがある。その最も顕著な例が、現代の組織において急務となっている女性リーダーの登用における困難である。研究によれば、男女間で「優れたリーダーとは何か」という理想像そのものに大きな違いはない。しかし、現実の社会には「男性は自己主張が強く主体的に行動すべき」「女性は他者に共感強調し共同体的に振る舞うべき」という強固な性別役割期待が根付いている。
暗黙のリーダーシップにおいて求められる「強さ」や「主体性」は、伝統的な男性の役割期待とは合致しやすいが、女性の役割期待とは相反する。その結果、女性リーダーはフォロワーから「女性らしく周囲に共感し支援してほしい」という期待と、「リーダーらしく力強く組織を牽引してほしい」という、完全に矛盾する二つの基準を同時に突きつけられることになる。男性リーダーであれば「強さ」を示すだけでリーダーとして認知されるのに対し、女性リーダーは「強さ」と「感受性」の両方を完璧に兼ね備えなければ、フォロワーから正当に評価されないという過酷な状況に置かれているのである。
さらに深刻なのは、フォロワー側の無意識の解釈バイアスである。スコットとブラウンの実験によれば、全く同じ主体的なリーダー行動(例えば、チームの資源を獲得するために他部署と激しく交渉する行動)をとったとしても、それが男性リーダーによるものであれば「頼もしいリーダーシップ」と肯定的に評価されるのに対し、女性リーダーによるものであれば、フォロワーはそれを主体的な行動として即座に認知しにくく、場合によっては単なる「攻撃的な振る舞い」としてネガティブに受け取ってしまう傾向があることが示されている。女性リーダーが男性リーダーと同等以上の成果を出しても正当に評価されにくい背景には、長らく男性中心であったビジネス社会が培ってきた、フォロワー側の歪んだ暗黙の基準が横たわっているのである。
リーダーシップの本質はフォロワーの認知にある
これまでのリーダーシップ論の歴史を俯瞰すると、優れたリーダーシップとは何かという探求は、常にリーダー個人の資質や行動ばかりに焦点を当ててきた。しかし、フォロワーの視点からリーダーシップの構造を解き明かすことで、まったく異なる風景が見えてくる。リーダーがどれほど研鑽を積み、組織のために尽力したとしても、フォロワーがそれを「リーダーシップの幻想」を通して過剰に非難したり、逆に無意識の「暗黙のリーダーシップ」のバイアスによって正当な評価を拒んだりすれば、その努力は水泡に帰してしまう。
真のリーダーシップとは、リーダーの自己満足的なパフォーマンスではなく、フォロワーの心の中で「この人についていきたい」「この人の描くビジョンを実現したい」という内発的な承認が形成されるプロセスに他ならない。組織がより健全に機能し、多様なバックグラウンドを持つリーダーたちが十全に力を発揮できる環境を構築するためには、リーダーの能力開発以上に、フォロワー側が自らの内にある無意識の偏見や過剰な期待を客観的に自覚し、認知をアップデートしていくことが不可欠である。リーダーを活かすも殺すもフォロワー次第であり、組織の命運を握る真の鍵は、実はリーダーの背中を見つめる無数のフォロワーたちの手の中にあるのである。
(本記事は、書籍『リーダーシップの科学』の第5章をもとに執筆したものです)

鈴木竜太 氏
(神戸大学大学院経営学研究科長・神戸大学経営学部長)

『人を動かし、成果を生み出すリーダーシップの科学』
(鈴木竜太 著/ダイヤモンド社)

